情熱の炎は絶やさない
奥出雲たたら 千年物語

渓谷の岩を打つ清流や鮮やかに色づく紅葉など、四季折々に美しい秘境、奥出雲。
その奥出雲地方には、日本の棚田百選に選ばれた「山王寺の棚田」や「大原新田」をはじめ、日本の原風景が広がります。
約1300年前に記された『出雲国風土記』に「豊潤小国(にたしきおくに)」と書かれた「仁多」は古くからの稲作地域で、昼夜の厳しい寒暖差や清流から注ぐ澄んだ水など稲作に適した環境にあります。ここで産出される「仁多米」は“西の横綱”と評されるブランド米として知られ、数々の品評会で受賞する豊潤な味わいです。
本来、山深い土地である奥出雲が現在のような米どころとなった背景には、千年以上の長きにわたる“鉄の物語”が関わっていました。

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鉄の歴史はそのまま人類の歴史と重なるとも言われ、日本においても、人々の暮らしやものづくりと切り離せない存在でした。
古代の人々は、原料となる砂鉄やたたらの火に欠かせない木炭など、自然からもたらされる恩恵を最大限に生かしながら製鉄の技を磨き、「たたら吹き」と呼ばれる日本独自の製鉄法に昇華させました。その後、フイゴの改良や永代たたらの完成などにより生産量を増やし、日本刀などの武具や暮らしの道具など、日本人の生活に欠かせない技術として定着していきます。

良質な砂鉄と山林資源に恵まれた奥出雲地方は、古代からたたらによる製鉄が盛んに行われてきた地域で、最盛期の幕末から明治初頭にかけては、全国の8割以上の鉄が奥出雲を中心とした中国地方でつくられていたと言います。
“たたら“というと、映画『もののけ姫』に登場した”タタラバ“を連想される方も多いと思いますが、その舞台は出雲地方をモデルにしているとも言われており、奥出雲は今でもたたらの代名詞的な存在となっています。

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冒頭で紹介した棚田は、たたら製鉄の原料となる砂鉄採取で切り崩されたことが始まりとされ、採掘に用いた水路の水を田に引き、砂鉄や木炭を運ぶために飼育された牛馬の厩肥(きゅうひ)を田に撒いたことで、現代のブランド米につながる肥沃な土壌を作り上げました。
しかし、一大産業となった奥出雲のたたら製鉄も、明治に入ってきた洋鉄の勢いには勝てず、大正期に商業生産を終えることになります。“鉄の都”としての役割を終えた奥出雲には、美しい棚田の原風景だけが残りました。

一度は消えた火を再び灯す、田部家の取り組み

現在の雲南市に、室町時代から約550年もの間、たたら製鉄を営んできた名家があります。
「田部家」は、1460年に初代が製鉄事業を興し、九代安右衛門の頃、松江藩より現在の屋号「前綿屋」を下賜されました。江戸から明治の最盛期には、所有する山林は最盛期で25,000ヘクタール(現在の大阪市と同じ広さ)にも至り、1892年のシカゴ万博、1899年のパリ万博に出展していずれも受賞するなど、輝かしい功績を持つ”たたらの名門“です。
そんな田部も時代の流れには抗えず、1923年にはたたらの火が消えることになります。

それから約100年が経ち、再びたたらの火は灯されます。
きっかけとなったのは、現当主、25代長右衛門さんが地元の中学校に講演で訪れたときのこと。会場にいた中学生はたったの38人。「地域がなくなってしまう」と強い危機感を覚えた長右衛門さんは、「たたらで栄えたこの地を、たたらで再生させる」と誓います。そこから、地元の仕事を作り出すためのたたら復興プロジェクトが開始され、たたら場の再整備やまちづくり、和鋼を使った商品開発など「たたら文化」を伝える活動が現在も続けられています。

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田部家の直営ショップ「奥出雲前綿屋 鐡泉堂」では、和鋼を使った“鐡泉堂ならでは”の商品を取り揃えています。商品はどれも、地元島根県をはじめ、岩手の鉄瓶工房、大阪・堺や新潟・三条の刃物製作所など全国の熟練職人の協力を得てつくられたもので、素材から仕上げまで、ものづくりの真髄を極めた逸品ばかり。まさに一生ものと言えるでしょう。

奥出雲の棚田では、毎年収穫祭の時期にライトアップが催され、その幻想的な景色は多くの観光客を魅了しています。国指定名勝天然記念物の渓谷、再整備された「たたら場」など、かつてを偲ばせる地に足を踏み入れ、ゆったりと一生ものの暮らしの道具を探してみてはいかがでしょうか。

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世界を魅了する日本刀に用いられてきた純度の高い「玉鋼(たまはがね)」。島根県唯一の刀匠が鍛えた玉鋼を使った暮らしの道具を一度手に取ってみてください。

奥出雲前綿屋 鐡泉堂Okuizumo Maewataya Tessendō

Address
島根県雲南市吉田町吉田2557-1
Tel
0852-60-2539
Web
https://www.tessen-tatara.jp/

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